DEMINOIR

In Search of Lost Home

『スーサイド・スクワッド』はわりと好き。どちらかというと。

しばらく前に『スーサイド・スクワッド』を観た。

 

はっきり言って、中途半端な映画だった。退屈することはなかったにせよ、まず、ほぼすべての主要登場人物の物語を詰め込もうとして、つまり映画として何がいいたいのか?の部分が不鮮明。こういう映画で大事なのは、登場人物全員の素性が、事細かに説明されていなければいけないわけではないということだ。

 

各キャラクタの説明を兼ねた回想が、文字通り順番に出てくるだけの序盤については、編集の粗末さを感じずにはいられなかったけれど、映画の知識がなくてああしたんじゃなくて、よく言えば、コミカルにしたくて、悪く言えば、安っぽくなることを承知で、敢えてああいう構成にしたんだろうから、そこに落胆するのは悔しいような気もする。ただ、ああすることが、コミック原作の物語にとって重要というわけではないので、全体に漂う漫画っぽさは、やりすぎだろうと思ったりもした。暗くてシリアスにしたらしたで、また、『バットマンvsスーパーマン』のときみたいな批判を食らうかもしれないが、デイビッド・エアーが監督なんだから、もっと彼っぽさがあってよかったと思う。

 

どうせ続編や関連した映画が作られるわけだし、中途半端な明るさや丁寧さではなく、その真逆を行ってほしかった。そういえば、ジャスティス・リーグも既にディスられ始めているみたいなのだが、どうやら批評家の声がいちばん大きいらしい。YouTubeでトレイラー動画のコメント欄を観にいっても、多くの人は、比較的、楽しみにしているように見える。どうすればいいのか分からないと思うけど、気にせず好きなようにやってと言うのがベストか。

 

ただ、中途半端という言葉にも、いろいろなニュアンスがあると思って、敢えて今、そう書いてみた。僕の場合、さっき言ったように、退屈はしなかった。むしろ、オタクなりに、面白く鑑賞させてもらった。背景があまりにも臭いとは言え、エル・ディアブロみたいな炎の超能力者が、容赦なく敵勢に火放ってる場面に、わくわくしないわけにはいかないじゃないか。それから、デッドショットが銃を構えて敵のモブに撃ちまくるところも超絶格好良かった。漫画の表紙を再現したところも、意味はないけど何だかいいじゃん!と思った。

 

ところで、ジョーカーは、思ったよりも、本筋への絡みが少なくて残念。だけど、『バットマンvsスーパーマン』で示唆的に描かれていただけだが、今回のDCエクステンデッドユニバースの中で、ジョーカーは、どうやら、ロビン殺害犯らしい。ベン・アフレック主演/監督のバットマンが、すでに一作、製作されることが決まっている。今度の悪党は、デスストロークらしいが、その後、もしかすれば、ジョーカーをフィーチャーした作品が製作されるのではないかという期待を持っている。皆持っているはずだ。個人的には、もしロビンを登場させるなら、ぜひマット・デイモンに演じてほしい。そしたら伝説になる。

 

そういえば、ハーレイ・クインを主人公にしたスピンオフが製作されるという情報がある。もちろん、マーゴット・ロビー主演となるだろう。だけど、このハーレイ・クインについて、これ以上何を描くの?というのが全然分からない。ただ、今回は持ってただけで実際に使わなかったでっかいハンマー、あれを振り回しているところが絶対に観たい。

 

カタナとか、キラークロックとか、そういった登場人物の過去は、今後のスーサイド・スクアッド映画で、より詳しいことが明らかになるだろう。ならなくてもいいが。回想より、アクションシーンのほうが、もっとたくさん観たいかもしれない。脇役ということでは、いるだけで抜群の小物感を醸し出していたキャプテン・ブーメランが、個人的には第一位だった。

 

さて、内容から話を逸らすと、編集についてのかわいそうなエピソードが、すでに多くのメディアによって暴露されている。編集が切羽詰まっているときに、ビジネスの都合で、作品発表日時の延期が無理だったんだとか。他にもいくつか。カットされたシーンの中には、もし収録されていれば、筋書きの解釈を180度変えてしまうものまである。それは、後々販売されるDVD等に収録されるだろうが、とにかく、作ること自体が大変な経験だっただろう。

 

映画が大規模化している。3部作で契約することは、すでに一般的だが、もはや、従来、普通とされていた尺では、表現したいものがしきれなくなり始めているのではないだろうか。ザック・スナイダーは、思い切った尺の引き延ばしで、文字通り、全てを積み込む。長すぎれば、また面倒くさいビジネスの問題として、批判されたり、嫌がられたりするのかもしれないが、この際、思い切って、バンバン尺長な映画を作っていってはどうだろう。『スーサイド・スクワッド』も、もちろん、台本そのものの問題は見逃せないが、盛りだくさんにしたいというなら、何でも詰め込んでいいんだという、思い切った精神状態で取り組んだら、もっといい作品になっていたような気がする。

 

これを書いておきたかったのは、批評家たちが、あまりにも、本作を悪く書きすぎだと思ったから。既に多くのファンがぶちぎれていて、映画を全力で「擁護」している。はっきり言って、そこまですると政治的すぎるし、やりすぎだと思うが、ボロクソ言われるだけの映画でもないと思ったので、いちおう、正直な感想を述べておいた。エアー監督頑張って。