DEMINOIR

In Search of Lost Home

古代ギリシャ展

東京国立博物館古代ギリシャ展に行ってきた。

上野の美術館・博物館に足を運ぶのは久しぶり。思いつきで行ったが正解だった。

 

特別展についての博物館による詳細はこちら。

www.tnm.jp

 

個人的には第1章から第3章までの展示が面白かった。

それぞれ新石器時代、ミノス文明、ミケーア文明、という分け方。

 

写真がない(というか展示中に写真は撮れない)から、気に入ったものの中で、グーグルで写真を見つけたのはこれ。左側のそれ。これは新石器時代のセクション。

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説明書きが読めるけど、要するにグローバルなネットワークが安定していますように、という思いが、取っ手の形作る円形に表れているらしい。世界的な商売が順調に行くには平和でなければいけないわけで(武器産業は逆だろうけど)、何となく、これにはポリティカルなニュアンスを読み取ることができるのではないかと勝手に思った。とにかく、クリエイターの言わんとすることが、このシンプルさのみを以て、これだけ十分に伝わってくるということに関心したということが言いたい。

 

同じ部屋の反対側には、とある水差しがあった。凝っているわけではないがシンプルなのが良かった。隣には「ぶどう栽培が始まったことによるライフスタイルの変化を受けて作られた」という旨の説明があった(括弧内に書いたことでだいたいあっていると思うが、全然違ったらすいません)。「ぶどう栽培」とあったから、「これはもしかしてワインを作りだしたのかな?だとしたらこれはデカンタということ?!」と勝手に想像しては興奮してしまって、「やっぱりデカンタは便利でイイよなあ。俺もサイゼリヤ行ったら赤ワインデカンタで頼むもんなあ」とまたひとりで勝手に昔の人への共感の波に揉まれた。ただし、単なる推測であって、ぜんぜん違う可能性はある。

 

ここで自分のまだまだ浅い飲酒歴を振り返ってみると、ギリシャのワインは飲んだことがない。店にもあんまり置いてないし、コンビニにも売っていないような気がするが...?博物館の売店を見てみたら売っていたので危うく買いそうになったが、思いとどまった。

 

それから、ミノスだったかミケーアだったか忘れてしまったけど、でかでかとタコの書いてある大きめの壺があった。どうやらぶどう酒を入れて使うようだった。外も中も地中海っぽくて素晴らしい。目の前にいるだけでオリーブオイルの香りがする。

 

ところで、他の壺とか金貨とかにもめっちゃタコがフィーチャーされていたが、この頃のギリシャの人はタコのことをどう思っていたんだろうか。西洋でタコというと、悪魔というかクトゥルフというか、とにかく化け物みたいな感じだが、それは一神教のアレということか。

 

それ以降の幾何学様式とかクラシック(古典)時代とかは、模様や造形の技術は格段に進歩していて凝ってるんだけど、それ以前の時代のほうが「社会に密接したものづくり」感が強くて、自分としてはそれが好きだった。後の方になると、社会のことは奴隷に任せちゃって、政治的な部分を社会生活から遠くに持って行ってしまう。神殿に神話が描かれた壺飾ったりとか、イケメン神様の像彫ったりとか、よくできたものばっかりだとは思ったけど、古代ギリシャに生きていた人々の身体的なものはそこには宿ってはいなかった(むしろ神様の体形に似せるために筋トレやるということが大事だったのではないだろうか)。逆に、最初に写真でも見せた、取っ手が輪になっている壺は、凝ってはいないけど、実用的な部分と象徴的な部分の整っているあたりが心をうった。

 

あんまり美のための美術とかにあんまり興味がない。芸術のための芸術とか、政治のための政治とか。内容考えずにライムのためだけのラップとか、内容考えずに法案通すためだけの議会とか、いいものだとは思わない。最初の方の「社会に密接したものづくり」感溢れる壺たちは、身体的なレベルで共感することができた。政治家を含むすべての人は、こういうものを常に携えつつ、政治談議に臨むべきではないか。